no problem

 かういふ夢の寝言みたいな私の感想をある人が聞いて「あなたはびんばふの本当の味を知らないから、そんな夢を見てゐるのですよ。赤貧洗ふが如しといふその赤貧の本当のびんばふ加減を知つてゐますか? 米もなし、おさいもなし、味噌もなし、炭もなし、むろん一枚の紙幣もなし、竹の子に出す一枚の着物もなし、電燈料が払へないから夜は真暗で寝るし、夏になつても蚊帳がなし、病気になつても薬が買へないと、ない物づくしの生活を赤貧といふのです。お世辞にもびんばふは愉しいと言へるはずはありません」と彼が言つた。

 コンクリ屋のやうな専門家が来る前に先づそれだけの穴を掘らなければならない。三丁目町会の隣組の人たちが各家庭から一人づつ出て穴掘りに奉仕することになつて、男の人たちは昼間の勤めがあるから全部が主婦とわかい娘さんたちだつた。二月の節分が過ぎて間もない頃で朝の霜はひどかつたが、午前九時に始まり午後五時で終るのだつた。私の方の隣組は、穴掘りの仕事は人手も多いから、みんながお茶の係りになつて、そつちこつちの樹の下に七輪を据えて一日じう驚くほど沢山の湯をわかした。初めの日は三百八十人位の人数で、次の日は人数が少し減り、三日目は午後二時ごろで終了し、延人数九百何十人といふことだつた。女ばかりの奉仕隊がみんな黒の防空服で大きなシヤベルを持ち、土を掘つたり運んだりする姿はまことに勇ましく、映画にもこんな光景はないだらうと思つて私はそつと障子の中からながめてゐた。(御主人は今日は出ないで下さいと言はれて、私は正直に家の中に隠れるやうにしてゐた。)

「謙(けん)は亨(とほ)る。君子終り有り吉(きつ)。○彖伝(たんでん)に曰く、天道は下(くだ)り済(な)して光明。地道は卑(いやし)くして上行す。天道は盈(みつ)るを虧(か)きて謙に益(ま)し、地道は盈るを変へて謙に流(なが)し、鬼神は盈るを害して謙に福(さいは)ひし、人道は盈るを悪みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(いやし)くして踰(こ)ゆべからず。君子の終りなり。」